痛み、悲しむことの大切さ
心・精神
桜の季節も過ぎました。私たちが桜の美しさに感動できるのはなぜでしょう。それは桜が散ってしまうこと、時が移ろい大事なものが永遠ではないことを受け入れ、悲しむことができるからです。
悲しみを受け入れきれないとき、私たちは花を散らす敵がいると想像して憎むか、自分を強大だと信じ込むか、魔術的なものに頼るかして大事なものを完全に守れると思い込むしかないでしょう。そうすれば悲しまずに済み、万能感に酔い、敵を被害的に憎み続けて己れを顧みなくて済みます。一見少しポジティブになれますが、こころは薄っぺらいものとなり、真に美を享受することはできなくなります。
単純に言えば病んだこころとは痛み・悲しみを抱えきれなくなったこころのこういう状態です。悲しむということ、それは喪失を受け入れ、その痛みとともに他者への気遣い、優しさ、そしてこころの自由を獲得することなのです。
(2017年5月執筆)